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Flight 規定タイム ☆ 1 20 ☆☆ 1 07 ☆☆☆ 1 01 Arlandの規定タイムクリアで解放。 参考動画 編集コメント 動画通りにルートをトレースできればOK。ウォールランから青い階段に飛び移るところはしっかり助走を取ろう。 -- 名無しさん (2009-06-04 06 42 17) 名前 コメント
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長年の実績に基づくクオリティ この製品は、ジョイスティック業界で 15 年以上の豊富な実績を持つ Thrustmaster が、フライトシミュレーターファン、特にフライトシミュレーターに興味あっても未経験というユーザーに使ってもらいたいと思い開発したモデルです。 リサーチの結果、フライトシミュレーターに興味はあるが実際にプレイしたことのないユーザーの大半は、フライトシミュレーターの複雑な設定などに敷居の高さを感じていることが判明しました。Thrustmaster が自身を持ってリリースする T.Flight Stick X は、プラグアンドプレイによる簡単接続に対応しているだけでなく、多くの人気フライトシミュレーター向けの初期ボタン配置によって、機器に接続してすぐに飛行を楽しめるようになっています。またこの製品は、PlayStation 3 用の初のフライトシミュレーター用ジョイスティックでもあります。 最も重要なのは『リアル』なこと このジョイスティックは、抜群の使いやすさを実現しながらも、パイロットの飛行体験を忠実に再現するためのテクノロジーを数多く搭載しています。T Flight Stick X for PC/PS3 は、未だかつてないレベルの臨場感・リアル感をプレイヤーに提供します。ベース部にはウエイトを内蔵しており、クイックな操縦時にも優れた安定化を発揮。さらに、抜群の快適性をもたらすワイドなハンドレスト、連射用トリガー、フラットな旋回を可能にするラダー、燃料調節用スロットル、多方向ハットスイッチなどの多彩な機能を搭載しています。またT Flight Stick X for PC/PS3 には、12 個のアクションボタンと4つの軸に任意の機能を割り当てることのできるマッピング機能、プログラム間を瞬時に切り替えられるプリセット機能、最新のプログラム設定を保存する内蔵メモリなどを筆頭に、Thrustmaster 独自のテクノロジーが豊富に採用されています。 すぐにプレイ開始可能 T Flight Stick X for PC/PS3はプラグアンドプレイに対応し、プリセット設定を搭載しているため、初回プレイ前の煩雑な設定操作を省略できます。T Flight Stick X for PC/PS3 を使えば、Microsoft 社の PC 版「Flight Simulator X」や「Acceleration」、505 Games 社の PlayStation 3 版「IL-2 Sturmovik」などのタイトルを、ジョイスティックを本体に接続するだけですぐにプレイ開始できます。 T Flight Stick X for PC/PS3 は、すべての Playstation 3 版および PC 版のゲームとも100%の互換性があります。 製品仕様 プラグアンドプレイですばやく簡単にインストール。設定にわずらわされることなく、すぐさまテイクオフ! 可変抵抗器付き超高精度ジョイスティック 安定性を強化した重量感のあるベース部 人間工学に基づいたスロットルレバー 疲れにくいワイドなハンドレスト ロッキングシステム内蔵の回転式ハンドルで、完璧なラダー操作を実現 エアブレーキ用(民間用)または速射用(軍用)トリガー、多方向ハットスイッチ(パノラマビュー) 独自の「マッピング」ボタンで、各機能を瞬時に相互切り替え可能 独自の「プリセット」ボタンで、プログラム済みの設定を瞬時に切り替え可能 ジョイスティックを接続していない状態でも、内部メモリにプログラム済みの設定をすべて保存 フルプログラム可能な12個のボタンと4軸 重量感のあるベース部とスロットル プログラム可能なPC/PS3切り替えスイッチ 調節可能なハンドル抵抗 個装サイズ:W240×H222×D257mm 製品重量:1303g Amazonで購入 ¥7,538 Yahoo!ショッピングで購入 ¥5,500 パソコンSHOPアークで購入 ¥7,480 ジョイスティック一覧 名前 コメント Aces High (PC CD) (輸入版) T-Flight Hotas X フライトスティック 並行輸入品 Saitek Pro Flight X-55 Rhino H.O.T.A.S. (Hands On Throttle And Stick) System」(サイテック プロフライト X-55 ライノ ホタス (ハンズ オン スロットル アンド スティック) 戦闘機などPCフライトシム操縦に 9軸コントローラー (MC-X55) CHProducts FighterStick USB接続 chfis [取寄10]MC-CMB-RPED(Saitek Pro Flight Combat Rudder Pedals)
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階級制度は現在テスト段階であり、今後変更される場合があります。 階級 その個人の組織内での階級であり、大会での実績や、在籍期間によって決定される。 行動によっては降格もあり得る。 最上級のエリート兵への昇格には隊の上司、および他の隊の上級兵数名(内輪等の密接な関係者は除外)からの推薦が必要となる。 また、推薦者を集めるための強要・工作・贈賄行為があったことが明らかとなった場合は昇格は無効となり、 悪質な場合は訓練兵への降格と機体押収処分を受ける可能性がある。 以下の表では下へ行くほど位が高い。 階級 条件 権利・待遇 訓練兵 機体受領前~入隊直後、または処分による降格 下級兵 形式上機体は受領済み・実績はなし 正規メンバーとしての登用 上級兵 重要な大会で上位入賞、組織内での信頼 専用のデカールやサブ機の受領が可能に エリート兵 数回の大会入賞・組織の中核を成す人物など F-22やT-50など最上級機体の所持が可能に クラス 隊内での肩書き。隊によって異なる場合がある。 以下の表では下へ行くほど位が高い。 クラス 条件や権利 部将 隊長および副隊長がその場にいない場合の代理、所謂サブリーダー的立場 隊長代行・副隊長 隊長の次に権力がある。隊長が不在の時、代わって導く立場。 隊長 隊の創設者・後継者が務める1番機は基本的にこのクラスに相当する。 隊長代行・副隊長は、後継者や隊政を委任されている人物であり、隊事情によって呼称は変動することがある。 階級やクラスなどを盾に、下階級の人物を見下す発言をする、過剰な権力行使などの行為は処罰・降格の対象となる。 称号 組織内での役職を表し、活動実績等で獲得できる。 また、大会での戦闘中に起きた出来事で、特異なことがあれば二つ名として獲得できる場合がある。 そのため、今後追加されていく予定。 称号 獲得条件 仕事・役割 所持者 実権の伴うもの 工場員 フルスクラッチでのモデリングが可能で、かつDatファイル等のYSFSで利用するにあたって最低限必要なデータを製造する知識がある 作品の投稿 製作者一覧 工場長 現職者が辞任しない限り新たになることは出来ない。組織内に一人のみ。 機体・パックの管理等、アドオンを司る。唯一datの調整が可能。また、緊急時工場員に作品の募集が可能 Fiend 実績を示すもの 宣伝相 広報活動による新人隊員の獲得をしたことによる功績 動画などによる組織と、その活動の広報による新人隊員の獲得 VITA
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フルシア公国(Principality of Fruscie) 概要 フルシア公国は、アカトルイス連邦の南に位置する、立憲君主制国家である。 実質的なフルシア家による独裁であるが、国民の熱い支持も有り容認されている。この経緯には周辺諸国が900年頃のアカトルイス連邦の植民地拡大政策により植民地化された中、騎士団一家であったフルシア家はそれに抵抗し、国境を認めさせた事、そしてその国体を現在まで維持している事が大きい。 首都はトラヴィス(Travis)であり、アカトルイスとファーニケスに挟まれた小山上に存在する多段型要塞である。首都付近以外は2つの急峻な山脈に挟まれており、ツェマクまで縦貫する「胡椒街道」が唯一南北を貫く。 首都トラヴィスが商都として栄えた過去から金融業が盛んであり、世界最大の預金残高を誇るエイフェックス銀行はフルシアの中央銀行として機能している。 配下の近衛連隊は忠臣一家であるジャン家によって司られており、現在はこのジャン家により多国籍軍事コングロマリット「Complexe d’armement et de logistique Frusciante(CALF フルシア兵装・兵站複合体)」が運営されている。 歴史 古代 フルシアは紀元前4世紀頃のテリア系と呼ばれる人々による現在のトラヴィス近郊に起きた集落を起源とする。 北西洋とエポニック地方、そして中東方面の中心に位置しており、交易の為に通る人々も多くあった。そこで100年頃、テリア系の人々はそれらの人間に対して市場を提供し始めた。彼らはその市場の防衛及び管理を行う対価として、貿易商たちから物資を得ていた。 この対価を用いて作られたのが総計16層にも及ぶ城壁を持つ大トラヴィス要塞であり、この時防衛を担った騎士団一家がフルシア家である。 アカトルイスの台頭と国家の成立 トラヴィスをエポナ王国へとケルヌンノス国軍の兵士が通過した832年以降、騎士団一家のフルシア家やジャン家、金庫番一家のエイフェックス家の御三家は隣国となる国々がまとまりつつある現状に不安感を感じ出した。この不安感は834年、円卓会議によりアカトルイス連邦が成立した事で現実となった。 この時騎士団長の長兄に代わりフルシア家代表として出ていた長姉のクラリス・フルシアは「武装中立」を取ることを提議した。即ち、自らの領土を明確に定義し、その領内に侵入する軍隊に対しては平等に迎撃する。また、市民・商人は自由に通過する事を認めるというものであった。 当時のフルシア家は南部に拡大した宿場町に分家を置いていく形で拡大しており、ジャン家は首都を中心として国境防衛に務めていたため、軍事力としては十分なものであったと言えよう。また国土の多くを山岳地帯が占めており、守りに適した地形であるであることもこの提議を後押ししたと考えられる。 これらの要素からジャン家、エイフェックス家もこの提案に同意し、結果的に836年6月18日、提議者のフルシア家の長姉を国家元首に据えた「フルシア公国」が成立した。このような成立過程を辿ったが故にフルシアは女帝制である。 902年、領土拡大政策を取っていたアカトルイスはフルシアに対して侵攻を試みたが、兵装の多くを商都であったトラヴィスに依存しており、騎士団の規模も考慮に入れた結果侵攻を断念した。 これによりアカトルイスはフルシアの中立を認めざる得なくなった。また、中立であることを認める事で、商人の通行の自由が認められ、それにより安定的に兵装の調達が可能になると判断したとの説もある。 技術の発達 実質的にアカトルイスによって領土を認められた形となったフルシアは、これを確固たるもののするために戦略的な観点から工業を振興していった。芹華に派遣した特使によって得た「火薬」の技術を発展させ、長距離砲の製造等により抑止力を強化した。また、同時に「活版印刷」の技術も導入し、ツィマクから運ばれてくる宗教書を広めた。 1451年は記録的冷夏であったが、もともと山がちで寒冷だった事もあり、大きなダメージを受けずに済むこととなった。この冷夏により1453年に独立したファーニケス連邦は、分離独立元のアカトルイスの立場を受け継いだため、南方の植民地となったタウィール王国を含め、周辺を中立を承認する国によって囲まれる形となった。 血の金塊事件 1685年頃、各国が戦争を繰り返す度に北部の商都トラヴィスでは莫大な富が生まれていたが、南部の農民、騎士は相変わらず貧しい生活を余儀なくされていた。その理由は大商人と税務官の癒着により、南部へと富が還流されなかったためである。その不満は12代女帝であったルネ・フルシアの耳に入ることとなった。 1687年8月9日、ルネは自らの手で首都の税務官の首をすべて跳ねた。後に言われる「血の金塊事件」である。彼女は新しい税務官を一箇所に集め、自らの目の元で仕事をさせる事とした。この姿に商人たちは恐怖し「命が惜しけりゃ、儲けは橋に変えろ(*1)」と言う掟が商人衆によって作られる事となる。 事件後、南部の市民はこの事件を歓迎したが、北部の商人の中からは恐怖政治だと言う非難の声が上がるようになった。 この声を聞いた15代エイフェックス家当主、ジョゼ・エイフェックスは、ルネに対して議会を開き、二権分立(*2)形の立憲君主制を導入する様に進言した。しかしルネは従来からの王権の縮小を嫌い、なかなかそれに応じようとしなかった。 ジョゼの1年の交渉の末、1688年12月19日にフルシア公国は立憲君主制へ移行した。初代大統領は功労者であるジョゼがなる形となった。ただ現在に至るまで、騎士団(軍)の最高統率権は女帝にあり、また実質的に議会は女帝の配下にあるに等しい為、実質的な独裁体制であると評価されている。 近代的軍隊の組織とその発展 フルシアは武装中立を掲げていたため、周囲の国からの侵攻を十分に阻止できる軍隊が必要であった。1890年代にもなると、騎士団を底とした軍事体制は旧態化の一途を辿っており、この近代化が急務となっていた。このためジャン家当主バルタザール・ジャンは軍の近代化を15代女帝オリヴィア・フルシアに進言した。この時提示されたのが「近代的軍隊の統率」と題された論文である。 この論文には以下の様に示された、 村々を守る騎士はすべてフルシア公国軍に所属すること。 首都トラヴィスは専業騎士によって構成された精鋭部隊が守る事。 緊急時において、判断を下す事が出来るのは最高司令官たる女王陛下のみである。 すべての兵隊に明確な階級を割り当て、女王陛下の命令を円滑に遂行すること。 鍛冶屋寄合は常に技術開発を続け、兵装の近代化に務めること。 この提言をオリヴィアは受け入れ、議会に諮った。結果として村々の兵士は剣の代わりに小銃を、そして首都トラヴィスには榴弾砲が配備され軍事の近代化が推し進められた。 20世紀に入ってもこの命令は生き続け、国産戦闘機ラファール、国産戦車ルクレールへとつながっていく。 中立の固持と8年戦争 1940年3月3日、ファーニケス連邦とリュドスカヤ王国により8年戦争の幕が切って落とされた。世界の大半の国がどちらかの陣営に付く中、フルシアはその中立を固持した。当時のフルシアに介入するだけの余力が無かったのも大きいが、国民が中立を支持した事も大きかった。 1940年5月31日、16代女帝クロエ・フルシアはジュゼッペにおいて、各国代表に対して「フルシアは如何なる軍用車両・軍用機の領内の通過を認めない代償として、捕虜交換及び戦争犯罪者の処罰を引き受ける」とする「ジュゼッペ宣言」を提議し、これを認めさせた。 またこの会議において、騎士道時代にはあまり見られなかった捕虜への虐待や一般市民への攻撃、侵攻地域での略奪等の問題が上がり、これらを禁止する「ジュゼッペ条約」が締結された。しかし戦後、連合国による侵攻地域での略奪が多発した事が明るみとなった為、この条約の実効性に疑念が呈される事となった。 軍備の拡張と積極的防衛への転換 8年戦争終結後、先の宣言により戦後処理の多くを引き受ける事となった。しかし多くの連合国側の戦犯の引き渡しは行われず、自国の影響力の低さを思い知る事となった。 この苦い経験から、1970年に17代女帝であるレナ・フルシアは軍事的プレゼンスの改善を目的とした「国土要塞化計画」を提言し、議会により承認された。最新鋭ジェット戦闘機「ミラージュ 2000」の開発や、戦術核の開発が推し進められた。 しかし影響力を強化する事によって、国際社会においての責任が大きくなった事で、フルシアは大きな判断を迫られることとなった。 1990年頃に発生したアル=シオン騒乱以降、隣国のタウィール王国北部の治安情勢が悪化した。具体的には反体制勢力による実行支配を受け、制空権を剥奪される事態となった。フルシアは中立を宣言していたが、軍事力が周辺諸国のそれに匹敵するものがあったため、周辺諸国から介入への協力を求められた。 レナは苦渋の決断として、正規軍へのアグレッサー部隊の派遣の代償として、テロリストの存在する地域を「訓練場」として間借りするという形を取った。ただ実際のところ、これは苦渋の決断とは言えないとされている。何故なら国土の狭いフルシアでは十分な対地訓練を行うことが出来ず、またアグレッサー部隊の練度向上にも繋がるためである。 これ以降、アグレッサー部隊の派遣や兵器の輸出の代償として訓練名目で対テロ作戦を行うということは慣例化した。また2003年のペトロスク地下鉄爆破テロ以降、市街地におけるテロに対する脅威が高まったことも有り、近衛連隊に市街地戦部隊が設立されることになった。 現在、地上脅威向け作戦の為にCALFによりnEUROnと呼ばれる無人機の計画が提示されている。 軍事 小国ながら、中立を保つため周辺の大国に勝る軍事力を有する。標語に「Aux armes, hommes!(男共よ、武器を取れ!)」とある様に、国民皆兵制である。また女帝制であることが物語る様に、男性が国防を、女性が社会を担っており、世界で最も女性の社会進出が進んでいる国とも評される。 郷土防衛軍 (Force Armée de défense) 郷土防衛軍は元々村々を守ってきた地元の騎士が軍隊に組み込まれたものである。定員は32万人であり、予備役を含めると168万人を擁する地上軍である。正面機甲部隊には「ルクレール」主力戦車などが配備されている。 防空軍 (Armée de défense aérienne) 1916年に武装複葉偵察機により組織された郷土防衛軍偵察隊を起源とする空軍であり、定数は4万人。入隊検査で視力が優秀なもの、反射神経が優秀なものから選抜されており、主に「ミラージュ 2000」「ラファール」と言った防空戦闘機を配備する。 近衛師団 (Garde Royale Frusciante) 軍の中で最も歴史の古い部隊であり、立憲君主制となった現在もフルシア公が最高指揮権を持つ、事実上の私兵である。そのために議会の制約を受けない特性を持つため、首都の防衛、対外デモンストレーションといった主任務以外に、国外における対テロ作戦等、正規軍が担当できない国外任務も受け持つ。 航空部隊、地上部隊、王宮殿儀仗隊、特殊作戦コマンド「Cramoisie」を有する。完全志願兵制であり、定数は存在しないが、現状2万人を擁する。 建国者 mofumofu Founding of a country by mofumofu JTF109構成国家一覧 国旗 国名 モデル 国旗 国名 モデル ファーニケス連邦 米 ルスラン共和国 独 リュドスカヤ連邦共和国 露 扶桑皇国 日 アカトルイス連邦 英 芹華国 中 グレートレリア王国 英、豪 アル=シオン首長国連合 中東 タノランガ 新 ノーベレン王国 北欧 フルシア公国 仏
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扶桑皇国 Empire of Fuso 概要 扶桑皇国は、極東に位置する立憲君主制国家。 1980年代まで政治・経済を軍事政権が支配していたが、1984年に学生を中心とした民衆と軍の一部が蜂起したことにより軍事政権が崩壊、新たに民主主義国家として生まれ変わった歴史がある。 周辺国とは昔の軍政時代の禍根が消えておらず、特に直接戦争を経験している芹華では未だ「鬼畜扶桑」との認識をする層が高齢者を中心に存在する。 政治的中枢としての首都は西京府西京。 この名は、歴史的には"酉京"が正しく、読みも「ゆうきょう」であった。しかし何らかの理由(書類の書き間違い説が有力)で「西京」と表記されて以来「せいきょう」と呼ばれるようになっている。 西京特別区内の特に中心部は歴史保存地区となっており、その外郭に中央官庁関係のビルが並ぶ。 経済的中枢は浪華府浪華市である。こちらは西京と異なり高層ビルが林立する、世界有数の大都市として有名。 近年では2010年に「迂闊な勤労感謝の日」事件の舞台となり甚大な物的被害を被ったが、2017年現在ではすべて復興している。当時崩落した橋の一部は記念碑として浪華市庁前に展示されている。 関東の政治・経済中枢としては江戸府江戸特別区が整備されており、扶桑高速鉄道卯酉線"ヒロシゲ"が浪華、西京、江戸の3都市を結ぶ。 軍事的には、広大な海洋を手中に収めるということもあり強力な軍事力を持つ。特に海軍については正規空母3隻を含む大艦隊を運用するほどの規模があり、世界有数の海軍である。 神室諸島 太平洋上に浮かぶ扶桑皇国領。神室(本)島・姫神室島・彦神室島の3島からなる。 経済・先進技術・政令の特別区域(特区)に指定されており扶桑国内では唯一道府県に属していないものの、首長に相当する政府高官には知事と同等の権限が付与されているなど実質ひとつの県として扱われる。 201X年、「国連安保理決議6102」に基づき国連軍部隊“JTF109”が駐留しており、扶桑三軍の部隊もこれに加入している。 扶桑近現代史概略(1946~) + ... 8年戦争で扶桑は連合国として参戦し、戦勝国として名を刻んだ。 戦時下の特例として扶桑政権は軍の中央司令部、所謂大本営が握っていたのだが、戦後もその状況は継続。二年後の法改正によって軍事政権として安定した地位に落ち着いた。にも拘らず国民の支持率が低下しなかった陰には8年戦争の勝利というまだ新しい記憶と戦意高揚のため徹底されたナショナリズム、そして軍部と癒着した大財閥群の影響があると言われる。同時に好景気の波が押し寄せ、「戦勝景気」の時代となった。 しかし1950年代半ばになると戦勝景気も落ち着いた。しばらくは戦中のような軍需製品の需要が見込まれないことから、基礎工業力の維持・向上を兼ねて国家政策により重工業メーカーは民間指向への転換を図る。具体的には自動車や生産機械の開発製造に注力することとなった。当然兵器開発を停止させたわけではないが、以前に比べると小規模なものとなり、充てられる予算も少なくなった。 その頃、芹華では共産党が政権を獲得。国内の政治、経済に対し次々と改革を推し進めていく。 「計画経済と無駄なき社会保障」をテーマに推し進められたこの改革は、これまで停滞していた芹華の経済を力強く駆動させ始めた。国家から強力なサポートを受けた科学技術・工業技術は発達し、さらに発展した経済により国民への高効率社会保障を確立することができた。また同時に国際貿易も盛んに行い、国際的な信用基盤を築き始めた。 1960年代に入り急成長を遂げた芹華のGDPが扶桑と並んだ。 この時代には(恐慌というほどではない)不況が世界を襲い、扶桑においてもそれは例外ではなかった。各種企業の業績は悪化し、有名な大企業でもちらほらと倒産する企業が出ていた。そんな中、計画経済を進めていた芹華は無事であったのだ。 ナショナリズム教育を受けて育った扶桑国民はこの時既に30代から40代となり、 国内の企業や政治に大きな影響を与える世代となっていた。彼らは、10年ほど前までは格下だと思っていた芹華が自らの国と肩を並べ、ないし抜かしかねない存在となったことに憤慨した。彼らの意思は瞬く間にメディアを通じて国民全体に知れ渡ることとなり、さも扶桑国民の共通認識であるかのような報道がなされた。扶桑国民の間には芹華に対する嫉妬の交じった憎悪が充満した。 そして1974年。扶桑軍は芹華に侵攻を開始する。芹桑戦争の幕開けである。 当時、東西に分断されていた世界においてこの戦争は格好のイデオロギー戦争の火種になってしまったのは言うまでもない。 扶桑軍はファーニケス軍の強力なバックアップの下芹華の主要都市・軍事基地を大型戦略爆撃機で絨毯爆撃し凄まじい戦果を上げたものの、対する芹華軍もリュドスカヤ軍からの支援を受けながら数的不利の中、絶望的な戦況を耐え忍んだ。 開戦当初こそ圧倒的な軍事力を背景に侵攻を続けていた扶桑軍だが、1975年2月・芹華における一大行事、旧正月に芹華軍が反撃に移った「春節攻勢」により事態は一転。じわじわと戦線を後退させることになる。 リュドスカヤの支援がさらに強力になった77年以後は扶桑軍の劣勢が目立つようになり、海上においてもリュドスカヤ製対艦ミサイルにより扶桑海軍艦艇が複数撃沈されるほどになった。 この状況を好ましくないと考えた扶桑軍本部は、芹華の戦意を挫くため核弾頭の使用を決断。 現地時間1978年8月12日11時53分、当時芹華第2の都市であった慶雲市上空において、扶桑空軍爆撃機により投下された核爆弾が炸裂。威力は最小設定ではあったが、爆発中心地点から8km半径以内の地区が壊滅した。 これ以後芹華軍は反撃することなく、両国は講和へと進んでいった。 1978年10月23日、芹桑講和条約により扶桑と芹華は講和した。 戦争は、扶桑の戦術的勝利と政治的敗北という形で終わった。講和条約の内容も扶桑が当初思い描いていたほど扶桑に有利なものではなかった。というのも、芹華侵攻に対する国際世論の反発は戦争当初から免れることができなかった上、核使用により扶桑が国際政治で不利な立場になることは必至であったためである。とくに芹華と友好的な関係を持っていたリュドスカヤを始めとする諸国は扶桑に対する経済制裁を実施した。 しかしその事実が直接国民へ伝えられることはなかった。国民に対しては、あくまで扶桑が優位に立ち、政治的にも扶桑の勝利だというニュアンスで報道を行った。 1980年2月、ひとつの論文が軍事雑誌に掲載された。当時の「皇国の矛、亡国の盾」と題されたこの論文の趣旨は、当時の対外強硬政策を採っていた扶桑当局への失望と、平和的民主国家に向けて国民の蜂起を促すというものであった。当然、この論文を掲載した雑誌は回収され、当該記事は削除されることとなった。 しかし、既に100冊を超える冊子が民衆の手に渡っていた。論文「亡国の矛、亡国の盾」を手にし研究した大学生はその意見に賛同し、学生運動を行う者も出てきた。やがてその活動が集団的なものとなると学生運動組織が大学ごとに結成され(中には高校や学校外で結成されたものもあった)、さらに全国の学生運動組織を統括する「扶桑民主化運動隊」が生まれた。 扶桑当局はこれを違法として取り締まりを行ったが、学生たちは教授などを巻き込んだ草の根的ネットワークを構築して強固な活動主体を築いた。 この状況に反応したのは国内だけではない。 扶桑軍装備の大ディーラーであったファーニケスは積極的介入を行わなかったものの、リュドスカヤやフルシアンテ、ノーベレンなど西洋国家は反政府組織である学生たちを支援した。具体的には資金援助と技術提供である。 また、選抜された一部の学生たちはルスランに渡り、独自の空軍組織を結成すべくノーベレン製戦闘機J35ドラケンを運用する訓練を行っていた。 1981年に入り、学生運動はその活動を拡大させていた。支持層も10代から30代まで広がり、国内各地で当局との衝突が起こるようになっていた。 そのような最中の1981年7月、扶桑海軍第二艦隊所属のDDG-183「磯風」が、艦長の宮津中佐以下多数の士官、下士官兵とともに艦隊離脱を宣言。同時に僚艦「浦風」を撃沈する。 また、この混乱に乗じて国内武装組織と化した「扶桑民主化運動隊」改め「扶桑民主義勇軍」は大規模な反政府活動を実施。関東を手中に収めることに成功した義勇軍と、関西を中心とする扶桑軍の間で事実上の内戦状態が始まった。 内戦の詳細な内容については、別テキスト「扶桑民主化闘争・内戦史」を参照されたい。 1984年12月30日、首都西京の陥落により内戦は終結。 双方合計で1万以上の戦死者と、発端となったDDG「磯風」を含む多数の兵器を消耗したこの戦いは、義勇軍側の勝利という形で終わった。 軍事政権は消滅し、扶桑は選挙で選ばれた議員による議員内閣制の立憲君主国家として再建することとなった。 強硬的な武力の使用を認めない新憲法の下で軍備も再編され、規模は縮小されないまでも任務の方向性は、より国際貢献・平和維持方面へと変更された。また大手財閥系企業の解体が行われ、自由市場の本格化とともに外国資本導入を開始。民間のグローバル化が始まる。 一時は内戦によって扶桑経済の信頼は下落、不景気になるのではないかと囁かれていたが、扶桑銀行の妙策と復興特需により大きな影響は避けられた。また前述の市場の自由化により活発な経済活動が行われるようになり、扶桑はむしろ好景気となった。 1990年代では、扶桑海軍および空軍91年のジハール戦争にも参加。主に連合軍の後方支援や、海上輸送ルートの平和維持および機雷掃海を行った。一部では戦闘も発生していたと言われるが、確かな資料は残っていない。 2000年以降は、2003年にリュドスカヤで発生した大規模テロを始めとして世界各国でテロリズムの動きが活発化する中、扶桑も警察力の強化などを行う。具体的には、軍事政権時代の反省から警察には最低限の武装(一般の警察官は最大で拳銃のみ、機動隊でもSMG程度)しか許可されていなかったが、機動隊へのアサルトライフルの配備、対テロ専門部隊の編成がなされ、そちらにもアサルトライフルや散弾銃、狙撃銃が配備されるようになった。 2010年11月23日、「迂闊な勤労感謝の日」事件発生。 扶桑政府は2000年以降各国で活発になるテロリズムへの対策を進めてきたが、本事件によりテロリズムに対する認識の甘さが露呈した。 これを受け扶桑政府は国境警備体制をより一層強化することとなり、具体的にはイージス艦と地対空ミサイルの増備、各レーダーサイトの能力強化などが行われた。 事件の通称は、当時の江田首相が国会答弁において「迂闊だった」と発言したことから。 詳細は野田和良「『迂闊』事件を探る」(角山新書)等。 2014年に国連総会の決議と安全保障理事会の決議により、ファーニケス軍を主体として多国籍統合任務部隊(JTF、またはMJTF)が世界各地で編成。扶桑軍も多くの部隊を派遣している。 また、そのうち9番目にあたるJTF109が扶桑南洋にある神室島を本拠地として編成された。 扶桑民主化闘争・内戦史(草稿) + ... 1980年2月 「皇国の矛 亡国の盾」発表。 1980年12月 ファーニケス政府、大学生らの活動に注目。CIAは極秘に「扶桑革命の兆候あり」と判断、これを利用するため活動を開始する。 1981年、扶桑各地で民主化運動デモが頻発。この時期を海外新聞社は「扶桑の春」と呼んだ。 *磯風の反乱および関東クーデター 1981年7月、旗風型駆逐艦三番艦「磯風」艦長宮津中佐以下260人の将兵が艦隊離脱および扶桑民主義勇軍の決起を宣言。制止を試みた姉妹艦「浦風」をハープーン対艦ミサイルにて撃沈した後、同調した駆逐艦らと共に関東周辺海域を制圧した。 同時刻、相武台駐屯地および八千代駐屯地に所属する第2師団、第11師団、江戸府、安総県、岩槻県、那珂県、足柄県の政治中枢を占領、関東地域を制圧した。 また空軍鉾田基地、所沢基地、相模原基地、海軍横須賀・大湊基地といった主要基地が陸軍に制圧され、所属する部隊と共に「関東軍」を組織した。 *扶桑民主義勇軍・義勇空軍 関東空軍部隊を包含した関東軍の総数は約3万人で、扶桑全軍の約10分の1であった。この数的劣勢を補い、また他地域にもこの蜂起の正当性を訴えるため、民間人(多くは学生)および退役軍人から成る「扶桑民主義勇軍」が組織されたとされる。彼らは準軍事組織として看護や事務・給食・輸送等の兵站業務に従事した。 特記すべき活動としては、義勇軍独自の空軍部隊がある。 義勇空軍で使用された戦闘機は、J35ドラケンである。ドラケンはノーベレンで開発された多用途戦闘機であり、小規模な設備で運用できる特徴がある。 ドラケンは「磯風」の反乱とともに横浜港へ陸揚げされ、筑波学園都市を中心として数カ所に新設された野戦飛行場へ配備された。 また義勇軍はその編成に先立ち、選抜された18歳前後の大学生や高校生を極秘裏にルスランへ派遣し、戦闘機パイロットとしての訓練を施した。そして彼らはドラケンとともに帰国、任務に就くこととなった。 もっとも、義勇軍第一世代のパイロットである彼らの任務は主に新人教育であった。 義勇空軍のJ35は、関東空軍のF-104、F-4、F-1らと共に関東の制空権を保持する役目を追っていた。関東空軍部隊は練度の上では義勇空軍に比べはるかに優っていたが、彼らの戦闘機は大規模な運用設備が必要だった。しかしJ35は前述のとおり小規模設備で運用可能なため、高速道路や一般道路の直線を利用した滑走路で離発着できた。またその全天候要撃機および多用途機としての性能も活かし、空対空、空対地任務においてゲリラ的運用(通常の戦闘機のように一定時間滞空するのではなく、頻繁にあらゆる地域で離着陸するような運用形態)がなされ、関東地域の重層的防空および航空阻止に一役買っていた。 ドラケンの弱点としてはその独特な飛行特性が挙げられ、操縦には高い技量を要した。実際、ルスランでの訓練において一名の訓練生が死亡する事故を起こしている。また短い航続距離も弱点であるが、義勇軍はそれを運用法で補ったため、大きな問題にはならなかったようである。 *軍務省の混乱と一次闘争終結 この事態に対応を追われる軍務省では穏健派・強硬派が激しく対立。現場(主に師団指揮官階梯)では関西地方において強硬派が目立ち、また中部以東においては穏健派が多く見られた。 扶桑皇国首都である西京には、政治中枢と共に皇居西京城が存在した。関東軍がやがて首都を攻撃すると判断した扶桑政府は、騒乱開始から一ヶ月経った8月15日に皇室を西京城から 江波城へ疎開させた。 義勇軍および関東軍は一ヶ月のうちにその勢力を関東全域に広げることに成功したものの、富士川を境に攻撃、侵攻を中止。一時的な停戦状態となる。 8月18日に関東軍は、義勇軍の指揮下に入った。指揮系統が一本化され、また以後は義勇軍の別称として関東軍と呼ぶようになった。(なお、本稿では以後関東軍と称する。) ここまでの一連の流れを第一次闘争と呼ぶ。 *予備生徒制度 第一次闘争が収束すると、関東軍は戦力の拡充に努めた。 関東軍は新兵を養成するため青少年を利用した予備生徒制度を確立し、高等学校や大学校には予備生徒隊が組織された。これは以前の学生運動団体が母体となっているが、その活動は後方支援にとどまらず、前線で活動する兵士を養成するものとなっていた。また緊急時には予備生徒が最前線で戦闘を行うことも考慮されており、実際に富士川地域では予備生徒隊による扶桑軍との戦闘が行われていた。 また筑波には関東空軍の新人兵養成組織として筑波航空学校が設立された。そこでは生徒に対し航空機の整備運用を行う専門教育が施され、優秀な生徒は戦闘機パイロット養成課程へ進むことができた。その教官には元扶桑空軍パイロットの他、ルスランで訓練していた義勇軍パイロット(通称、第一期生と呼ばれる)が当っていた。 ところで、有り体に言えば、予備生徒制度は未成年を兵士として運用する制度である。これを問題視する国内外の人権団体は関東軍を強く非難するとともに、ファーニケスが扶桑軍を支援する根拠ともなった。 *第二次闘争の勃発 1984年11月4日。ファーニケスで下院議員選挙が行われるのと時を同じくして、関東軍は休戦ラインの富士川を越え、関西へと侵攻を開始した。第二次闘争の開始である。 関西扶桑軍はこの第二次闘争勃発の4ヶ月ほど前、揚陸艦を使用した房総半島東部九十九里沿岸への上陸作戦を計画し、部隊編成を進めていた。同様の作戦は第一次闘争中にも計画されたが、横須賀所属の第二機動艦隊や多数のミサイル艇を運用している関東海軍相手では成功する可能性が低いとして却下されたものであった。 関西扶桑軍上層部は、この第二次闘争を関東軍を挟撃する絶好の機会だとし、九十九里上陸作戦(秘匿名称"マル9")実行を決定した。 11月8日、揚陸艦隊が揚陸艦6隻(陸軍将兵約4500名同乗)、駆逐艦6隻、フリゲート3隻、潜水艦3隻により編成され、人々の目を避け翌々10日深夜(午前1~2時ごろと言われる)にそれぞれ出港した。上陸開始は11日午前9時を予定していた。 関東軍が揚陸艦隊を察知したのは10日午後7時頃であった。関西に潜む関東軍シンパにより揚陸艦の出港が確認したと連絡が入り、関東海軍上層部は、この動きは関東に対する上陸作戦であるという結論に至った。(この時既に関西揚陸艦隊の出港から18時間近く経っており、関東軍司令官は憤慨したという) 10日午後8時30分、関東海軍司令部は横須賀基地に停泊する第二艦隊全艦艇に対し非常呼集および緊急出港を発令した。当時横須賀基地に停泊していた4隻の駆逐艦と2隻の巡洋艦、8隻のミサイル艇、5隻の潜水艦が、発令から6時間以内に出港した。 (当時横須賀で乾ドックに入っていた駆逐艦1隻と関東唯一の空母「赤龍」は戦闘に参加できなかった。) いち早く出港したミサイル艇は第二艦隊に先立ち房総半島周辺の哨戒を開始した。(なお、この時ミサイル艇28号は機器トラブルのため4時間遅れの出港となった) 以下、当時の状況を時系列順に記載する。 11日午前4時52分、海上哨戒に当っていた関東所属P-2Jが館山沖150kmにて揚陸艦隊を発見。司令部に情報を送信した直後、撃墜される。関東第二艦隊はその情報を基に、館山沖より南東へ向かう。 午前5時16分、P-3Cが九十九里沖海域にて潜水艦を発見。攻撃しかけるが、直前に関東所属の潜水艦だと判明し中止。 午前5時43分、房総沖130kmにてミサイル艇28号が揚陸艦隊を発見。その後第二艦隊到着まで関西艦による砲撃を回避しつつ、情報を司令部に送信し続ける。(当時の状況は石田俊治『ミサイル艇28号』に詳しい) 午前5時59分、ミサイル艇17号が28号に合流。協同して情報収集に当たる。 午前6時23分、第二艦隊潜水艦「422」が揚陸艦隊潜水艦「421」と交戦開始。 午前6時31分(推定)、第二艦隊潜水艦「422」撃沈。揚陸艦隊潜水艦「421」は損害のため浮上。 午前6時52分、第二艦隊指揮官吉原少将により揚陸艦隊に対し無線警告が実施されたが揚陸艦隊は応答せず、攻撃を決断。第二艦隊およびミサイル艇隊交戦開始。 第二艦隊、ミサイル艇、P-3C等による対艦ミサイル攻撃が実施される。 同時に揚陸艦隊側も駆逐艦、フリゲートによる対艦ミサイル攻撃を実施。 午前6時54分~55分、双方による第二波攻撃開始。 午前6時59分、関西揚陸艦隊は揚陸艦「山城」機関部に2発命中、航行不能。また揚陸艦「淡路」、駆逐艦「島風」は1発被弾。 第二艦隊には被害なし。 午前7時01分、関西揚陸艦隊は揚陸艦「周防」、駆逐艦「太刀風」「秋潮」「雪潮」それぞれ1発被弾。「周防」「秋潮」「雪潮」大破。「太刀風」ミサイル弾薬庫に命中し爆発、まもなく沈没。 第二艦隊では巡洋艦「衣笠」駆逐艦「磯風」「山雪」「峯雪」それぞれ1発被弾。なお磯風については損害軽微。 午前7時04分、ミサイル艇隊による第三波攻撃開始。 午前7時08分、関西揚陸艦隊、揚陸艦「淡路」「石見」「美作」それぞれ2発、駆逐艦「島風」「澤風」「深雪」「初雪」それぞれ1発被弾。「淡路」「石見」「美作」「島風」「深雪」大破、沈没。 第二艦隊巡洋艦「衣笠」駆逐艦「山雪」「峯雪」、浸水のため行動不能。 午前7時12分、揚陸艦隊司令官、第二艦隊へ投降。戦闘終結。 午前7時18分、揚陸艦隊潜水艦「428」、駆逐艦「磯風」へ雷撃。 午前7時20分、「磯風」被雷、爆沈。 午前7時30分、全艦艇による救助活動開始。 かくして関西扶桑海軍による揚陸作戦は失敗し、またこれを知った関西扶桑軍の士気は低下した。関東軍の進撃に抵抗していた東海軍管区第4、第13師団は一部の部隊を除いて次々に投降し、12月13日に関東軍は近畿に入った。 しかし、首都防衛の任を負った近畿軍管区との戦闘は激戦となり、陸軍だけで合計3万を超える死者を出した。関東軍では前線兵士として予備生徒が多数投入されただけでなく、中には駐屯地に展示してあったM4シャーマン戦車や九七式中戦車、はたまた関西扶桑陸軍では当時開発中であった90式戦車の試作1号車まで使用されたという噂もある。 空軍においても双方ミサイルや機関砲弾、そして燃料の補給が間に合わなくなっており、真偽の程は定かでないが、F-104の主翼で相手の機体を切り裂くことにより『撃墜』を果たした関東軍パイロットもいたという話がある。また予備生徒上がりのパイロットにとって、ゲリラ航空戦ではなく正面からの衝突ばかりとなる近畿戦では扶桑空軍相手に圧倒的に不利であり、多数の予備生徒がドラケンと共に空へ散った。 海軍は陸・空軍から支援の要請を受けたが上陸作戦の失敗を受け拒否。主戦場が内陸部な上、海軍は当時有効な対地攻撃能力を持っていなかったことも理由に挙げられる。 同時に、関西在住の民衆の間でも関東軍に同調し、民主化を求める声が次々に噴出。西京以西では民衆が陸軍駐屯地や警察署に押し入る騒ぎが巻き起こり、特に西京では市街戦の最中に民衆が介入してくるなど、およそ正常な戦争とは言いがたい状況となった。 12月30日、関東軍は遂に西京に到達。軍務省や国会議事堂、首相官邸を占拠し政権奪取を宣言。関東軍総司令藤谷中将は関西扶桑軍、関東軍双方に武装解除、戦闘停止─事実上の終戦宣言─を命じた。 翌年1月30日、関東軍による一時的な新政権(藤谷内閣)により憲法改正を巡る国民投票が実施され、87%の賛成により「扶桑皇国憲法」が成立。2月11日に天皇より公布され、3月1日より発効した。 翌3月2日に藤谷内閣は総辞職、16日には改憲後初の国政選挙が行われた。 これを以って扶桑皇国の民主化が完了したとされる。 あとがき 以上が扶桑民主化闘争(内戦)の概略史である。 この闘争は、扶桑皇国の民主化という偉大な業績を残した。 しかし同時に合計10万を超える扶桑国民が死傷するものとなり、その過程には未だ様々な議論がある。だからこそ、この闘争の全てを、今の扶桑皇国を作り上げた歴史として、後世に語り継がねばならない。そして、多大なる犠牲の下に手に入れた民主国家としてのアイデンティティは、いつまでも失ってはならない。故・丸山真男氏の言うように、民主主義国家とは民主主義「である」のではなく、民主主義に「する」ことによって初めて成立しうる概念である。あの闘争があったために今の民主国家扶桑があるということに安住していると、いつか我々は本来の民主主義の理念を忘れ、民主国家扶桑を失ってしまうことになりかねない。その時に待ち受けているのは闘争前の非道徳国家であり、対外倫理の存在しない国家である。人々はそのような国家存在を忌避したいがために闘争に臨み、新しい皇国を作り上げたのではなかったか。 我々扶桑皇国民は、皇国の歴史をより輝かしく善いものとしていくため、民主の灯火を絶やさず燃やし続けねばならないのである。今後増えるであろう闘争を知らない世代に闘争を伝え、民主国家扶桑皇国を望んで死んだ人々の理念を彼らに受け継いでいくため、この闘争史が役立つ日が来ることを望んでいる。 最後に、新しい扶桑皇国を見ること無く死んだ兵士、そして青年たちに、最大限の敬意を払って筆を置くこととする。 軍事 扶桑皇国国防軍(Imperial Fuso Defense Force、IFDF)は陸軍、海軍、空軍の三軍から成り、国防軍法第3条第1項により「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たる」ものとされる。 行政的には扶桑国国防省の管轄下に置かれる(実質的には同じ組織の別側面と言える)。最高司令官は内閣の長である内閣総理大臣で、国防軍は厳格なシビリアンコントロールの下に組織されている。 また国土交通省の外局である海洋保安庁は有事の際、必要に応じて国防省の指揮下に置かれ、扶桑沿岸海域の警備を行う。 1980年代の軍備改編以前は「その主たる使用目的は報復措置である(1972年国防軍法)」とする戦術核を保有し、主に空軍と海軍によって運用されていた。 軍備改編後には方針を転換し「国防軍による核兵器の保有・使用は認めない(1986年国防軍法)」として保有する核兵器を全廃した。この法改正の際、国会前や首相官邸周辺では核廃止賛成・反対両派による大規模なデモや集会が行われ、時に機動隊も交えて三つ巴の暴動となった。現在でも扶桑の核再保有について新聞や雑誌などマスメディアで賛否両論が見られる。 扶桑皇国国防陸軍(Imperial Fuso Defense Army) 扶桑に対する海外勢力による上陸作戦を防止し、上陸された場合にはこれを直接撃破することを主な任務とする。また副次的任務として海・空軍海外派遣時の基地警備や基地周辺の安全保障を担当する。 規模は2016年時点で約14万6000人。 第3.5世代MBTである10式戦車や第3世代戦車である90式戦車を装備するなど、国産兵器が多く使用されている。本土防衛が主任務であるが有事の際には海兵隊的活動も行うため、ファーニケス製水陸両用装甲兵員輸送車AAV7や、国産の02式水陸両用装甲車が配備されている。 軍備再編以前は25万を超える大組織であったが、再編後の規模縮小により現在の形となった。 00年代以降の趨勢を踏まえ近年は対テロ戦力の拡充にも力を入れており、中央即応集団には著名な第11空挺団から派生した特別作戦群や、海外派遣・対テロ作戦に特化した即応旅団が組織されている。 即応旅団には一般部隊では見られない特殊な装備品が使用されていることが訓練公開などによって明らかになっている。特にHEAT弾対策の鉄柵や爆発反応装甲を備えた装甲車、15式小銃等の新型小銃、またUH-60やRAH-66等の航空機も旅団内で運用していることから、この旅団が陸軍内で相当特殊な扱いを受けていることがわかる。 扶桑皇国国防海軍(Imperial Fuso Defense Navy) 海洋国家である扶桑皇国の防衛力の中核を担っている。 海上からの侵略を阻止し、また艦船、航空機、潜水艦等の脅威を排除して、海上交通の安全を確保することを主な任務とする。 規模は2016年時点で約6万人。 扶桑皇国が島国であり、また広大な領海および経済水域を保有することもあり非常に能力が高い。3隻の通常空母と10隻のイージスシステム搭載艦、6隻の揚陸艦を保有・運用する、世界でも有数の海軍である。 ワークホースとなる汎用駆逐艦においても国産のFCS-4とRIM-4および長射程型のRIM-4改を搭載し、艦隊全体として高い防空能力を持つ。 空母艦載機としてはF-14が主力であり、導入当初のF-14Aから改良を重ね、AIM-120やL-JDAM、ASM-2の運用能力を持つマルチロール機となっている。また前任主力機であるF-4Sも若干数が残っているが、機体寿命が近いこともあり、数年内に退役する見込み。F-14についても老朽化は免れないことから新型機の導入計画が進められており、STOVL(短距離離陸・垂直着陸)仕様のF-35B戦闘機が実戦配備が開始されている。 2000年代以前は「シーレーン防衛」「大規模部隊の上陸阻止」を主軸に置いて整備され、「シーレーン防衛」については、南方海域の空・海双方の安全保障を行うため、軍事プレゼンスの象徴である空母を筆頭に世界最大級の通常動力型攻撃潜水艦と多数の対潜哨戒機を運用し、対潜戦能力は他国の追随を許さない程となった。 「大規模部隊の上陸阻止」については揚陸艦等の接近を阻止するフリゲートを配備し、陸軍の地対艦ミサイル、空軍の空対艦ミサイル、また駆逐艦の艦隊艦ミサイルや艦砲と共に対艦攻撃を行う。F-14がASM-2を搭載し積極的な対艦攻撃を行えるよう改造されたのも、上陸阻止に対する拘りが伺える。ゆきなみ型駆逐艦の導入と同時にトマホーク武器システムを導入したのも、扶桑本土から遠く離れた島嶼が外部勢力により占拠されたような場合に備え、遠距離攻撃を行うためとされる。 現代では新たに海賊・テロ対策の任務が付与されるにあたり、必要性の薄れたミサイル艇は減勢し、駆逐艦による即応駆逐隊を編成している。この部隊は特にテロ活動の活発な地域へ迅速に赴き、その海域において最低限度の空間支配・戦力投射を行う部隊である。その中核として整備されたのが、2000年から就役した「ゆきなみ」型駆逐艦である。ティルトロータ機MV/SA-32J「うみどり」、トマホーク武器システムの運用能力を持つゆきなみ型は、駆逐艦2隻を伴った即応駆逐隊の嚮導艦として運用される。 計画当初は懐疑的な意見の多かった即応駆逐隊およびゆきなみ型であるが、近年の対テロ作戦において様々な活動実績を残している。 扶桑海軍所属の潜水艦は20世紀末まですべて通常動力型であった。これは、当時の原子炉は燃料棒交換の際に艦体を丸ごと分割しなければならないため運用コストが跳ね上がるという事情があった為である。 しかしその後の原子炉の性能向上に伴い、艦齢を終えるまで燃料棒を交換する必要が無くなった。これを受けて国防省および扶桑海軍は1995年に原子力潜水艦の導入を決定し、17年後の2012年に1番艦が就役した。 この扶桑初となる原潜は長魚雷のほか対艦ミサイル、巡航ミサイルを搭載し、対地・対艦作戦を遂行可能となっている。なお通常動力型潜水艦にも巡航ミサイル運用能力が与えられるという報道があるが、国防省は今のところそのような計画はないとしている。 部隊編成 + ... 聯合艦隊 第1航空艦隊 CV-57 こうりゅう DDG-177 あたご DDG-160 みょうこう DD-140 ゆきぐも DD-133 おきなみ AOE-515 ふうれん 第2航空艦隊 CV-58 はくりゅう DDG-176 たかお DDG-162 あしがら DD-141 かざぐも DD-137 まきなみ AOE-516 かすみ 第3航空艦隊 CV-56 せきりゅう DDG-163 はぐろ DDG-161 なち DD-142 あきぐも DD-143 まきぐも AOE-517 とうや 第11揚陸艦隊 LHD-3020 いなば LPD-3111 つるが DDG-197 かわかぜ 第12揚陸艦隊 LHD-3021 さつま LPD-3112 まなづる DDG-199 みねかぜ 第13揚陸艦隊 LHD-3022 きい LPD-3110 つねがみ DDG-198 たにかぜ 第21即応駆逐隊 DDH-180 ゆきなみ DD-134 はやなみ DD-138 さざなみ 第22即応駆逐隊 DDH-181 あすか DD-135 ゆうなみ DD-136 しきなみ 第23即応駆逐隊 DDH-182 みらい DD-139 いそなみ DD-131 ながなみ 第24即応駆逐隊 DDH-183 あおば DD-130 きよなみ DD-132 たかなみ 第101駆逐隊 DD-120 せとしお DD-116 はやしお DE-230 よど 第102駆逐隊 DD-117 くろしお DD-118 おやしお DE-216 あがの 第103駆逐隊 DD-119 いそしお DD-121 まきしお DE-217 すずか DE-233 おぜ 第104駆逐隊 DD-115 なつしお DD-124 はるしお DE-213 きたかみ DE-214 おおい 第105駆逐隊 DD-122 もちしお DE-234 なか DE-235 かせ DE-215 つるみ 第106駆逐隊 DD-123 やえしお DE-231 かこ DE-232 ひい DE-218 くしだ 洋上補給隊 AOE-510 はまな AOE-511 しんじ AOE-512 かわち AOE-513 かみえず AOE-514 しもえず AOE-515 じんざい 潜水艦隊 第1潜水隊群 ASR-96 おおば 第1潜水隊 SS-405 SS-408 SS-465 SS-472 第2潜水隊 SS-400 SS-402 SS-474 SS-476 第3潜水隊 SS-401 SS-410 SS-468 SS-475 第2潜水隊群 ASR-97 うらが 第4潜水隊 SS-406 SS-407 SS-466 SS-479 第5潜水隊 SS-409 SS-416 SS-469 SS-477 第6潜水隊 SS-412 SS-414 SS-471 SS-473 第3潜水隊群 ASR-98 こいで 第7潜水隊 SS-403 SS-411 SS-470 SS-478 第8潜水隊 SS-404 SS-413 SS-415 SS-467 練習艦隊 TV-4501 すわ TV-4021 なだしお TV-4022 さちしお TV-4120 あまつかぜ TV-4121 ときつかぜ TSS-503 TSS-504 扶桑皇国国防空軍(Imperial Fuso Defense Air Force) 平時においては周辺の空域を警戒監視し、領空内に不法に侵入しようとする航空機に対して対領空侵犯措置をとるほか、災害派遣、国際派遣、物資や人員の空輸業務等を行っている。また、有事においては、航空優勢の確保による防空、侵入してくる戦力の航空阻止と近接航空支援を主な任務とする。国内に配備された警戒管制レーダーや、長距離地対空ミサイルの運用も行う。 規模は2016年時点で約4万5000人。 主力戦闘機としてF-15、F-2、F-35Aを保有する。 F-15についてはF-15J、F-15FXJ、F-15SEの三機種が運用されている。 F-15FXJはF-15Eをさらに発展させた機体で、12発の空対空ミサイル運用能力と高い対地攻撃兵装運用能力がある。事実上の扶桑空軍主力戦闘機であり、既存のF-15Jは開発実験団所属機を除き全てFXJに更新されている。 F-15SEは残存していたF-4EJの後継機として40機程度が導入されている。今後の動向如何によっては100機程度のFXJがSE相当への能力向上改修を受ける可能性があると報道されているが、費用に見合うだけの戦力となるか疑問視する声もあり、先行きは不透明である。 また次世代国産戦闘機のデモンストレータ機としてF-3が開発されており、基地航空祭などにおいてデモ飛行を行っている。 ステルス性に優れたF-35Aは導入開始から間もないものの、実戦配備は順調に進行中である。 また、戦術偵察機としてRF-4EJ、戦略電子情報偵察機としてRF-4XJが運用されている。 RF-4XJは高高度より偵察を行うため大型の精密偵察カメラポッドを搭載し、また対空脅威を振り切るためエンジンの改良及び水メタノール噴射装置の搭載により推力を増強。また高高度高速巡航に対応するため、FBW化に加え主翼翼型や動翼アクチュエータなど機体のほぼ全部分に対する改造が行われ、マッハ3級の高高度偵察機になった。このことから「魔改造」「チタニウムの亡霊」「もはやファントムじゃない」などと呼ばれることもある。 90年代の改造においてメインコンピュータを一新したことで最新鋭のデータリンクが使用可能となり、高度2万メートル以上の高度から精細な画像情報及び電子情報を収集し、またその情報をリアルタイムで作戦司令部やAWACSに転送可能となっている。(戦闘機に対してはデータ容量の問題により不可能) 改造機という扱いではあるが殆ど新造に近い改造が施されているため構造寿命には余裕があり、この先も長きにわたって運用される見通し。 これを運用する第5飛行隊は、部隊マークにブーメランが描かれていることで有名。 派遣“治安維持行動”統合任務部隊(Joint Task Force "Security Action") 神室諸島地域に派遣された扶桑皇国国防陸海空軍による統合任務部隊である。201X年、「国連安保理決議6102に伴う神室諸島地域安定化協力法(通称:神室派遣法)」に基づき編成された。 統合任務部隊は航空団・艦隊・戦闘団で形成され、それぞれ独立して行動するものの、各司令は統合任務部隊指揮官の指揮を受ける。 実力部隊のほか、支援部隊、外交駐在武官など神室諸島に在する扶桑皇国領の安全保障を担任するほか、派遣されている各国部隊および国連に対する窓口でもある。 これまでに編成された統合任務部隊としてはもっともコンパクトなものであるが、同時にもっとも高度な自己完結性を持つとされている 指揮官は派遣後に陸海空軍の参謀本部長に就任することが通例となっている。指揮官は坂本三郎空将。 神室島派遣戦闘団 派遣統合任務部隊の陸上を担う部隊。 神室諸島を陸上で直接警備する。派遣規模は1個連隊程度。 神室島派遣艦隊 派遣統合任務部隊の水上戦力を担う部隊。 重要海域警備や航空団の戦闘支援(後述)のほか、民間タンカーの護衛や不審船舶への臨検も任務としている。 派遣規模は1個艦隊(8~10隻)程度 神室島派遣連合航空団 派遣統合任務部隊の中で最も強大な航空戦力を担い、JTF109の構成部隊を担う。 統合任務部隊のなかで最も最前線に立ち、最も規模が大きいとされる派遣任務部隊の主力部隊である。 陸海空軍のあらゆる航空機を一元的に管制しており、偵察・輸送・哨戒・戦闘まで数多の任務をこなす多忙部署でもある。 派遣規模は2個航空団程度。 扶桑空軍運用機リスト(1955年3月~2017年4月) + ... 戦闘機 機体名 運用状態 運用期間 F-86F 退役 1955~1981 F-104J/DJ 退役 1962~86 F-4EJ 退役 1970~2001 J35D 退役 1981~1997 F-1 運用中 1977~ F-4EMJ 運用中 1988~ F-15J/DJ 運用中 1982~ F-2A/B 運用中 2000~ F-15FXJ 運用中 2002~ F-15SE 運用中 2013~ F-35A 運用中 2017~ 輸送/空中給油輸送/要人輸送機 機体名 運用状態 運用期間 MC-20 退役 1941~1957 DC-3 退役 1938~1962 C-46 退役 1954~1978 YS-11 退役 1965~2001 C-1 運用中 1971~ MU-300 運用中 1980~ C-130H 運用中 1983~ YS-33 運用中 1985~ KC-33 運用中 1988~ B747-400 退役 1992~2009 C-130J 運用中 1998~ B777-300ER 運用中 2009~ C-2 運用中 2013~ C-30 運用中 2014~ 偵察機 機体名 運用状態 運用期間 RF-86F 退役 1961~1979 RF-4E/EJ 運用中 1974~ RF-4XJ 運用中 1997~ 早期警戒機・早期警戒管制機 機体名 運用状態 運用期間 E-2C 運用中 1982~ E-33 運用中 1997~ 練習/連絡機 機体名 運用状態 運用期間 KAL-2 退役 1954~1971 T-1 退役 1957~2003 T-2 運用中 1972~ T-3 退役 1976~2005 T-300 運用中 1981~ T-4 運用中 1988~ T-7 運用中 2002~ 電子戦訓練支援機・電子戦機 機体名 運用状態 運用期間 EC-46 退役 1961~1976 YS-11EB 退役 1972~2007 EC-130 運用中 1978~ EC-1A 運用中 1985~ EC-1B 運用中 1986~ E-767 運用中 1994~ 捜索救難機 MU-2S 退役 1967~2001 MU-300S 運用中 1989~ 輸送/捜索/救難ヘリコプター 機体名 運用状態 運用期間 H-19C 退役 1956~1976 KV-107 退役 1967~2007 S-62J 退役 1962~1984 CH-47J/JA 運用中 1985~ UH-60J 運用中 1990~ JTF109構成国家一覧 国旗 国名 モデル 国旗 国名 モデル ファーニケス連邦 米 ルスラン共和国 独 リュドスカヤ連邦共和国 露 扶桑皇国 日 アカトルイス連邦 英 芹華国 中 グレートレリア王国 英、豪 アル=シオン首長国連合 中東 タノランガ 新 ノーベレン王国 北欧 フルシア公国 仏
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新人杯とは毎年のシーズン最初に行われる伝統あるタイトル。 その第3回目となる本大会も14-15シーズンの最初に開催された。 期間 2014年12月6~2015年2月7日 3代目王者はRegen(FSO)、第1回大会ぶりに扶桑勢が表彰台独占の偉業 大会展望 今大会は残念ながら過去最低人数の参加にとどまった。理由としてはACPの崩壊・JTFとしての独立と、 それらの混乱に伴う新人受け入れ体制の整備が遅れたことが考えられるだろう。 参加者は4名、扶桑とファーニケスからそれぞれ2名が参戦している。 その中で、注目は扶桑からの参加者の一人、Regenだ。 彼は自身の持つ長い実戦経験によって今回の参加者の中では郡を抜いた実力を秘めており、 その戦術の一つ一つに目が離せない。誰もが緊張との戦いとなるこの新人杯において、 多くの戦場を掻い潜ってきた経験・判断は強力な武器となるだろう。 案内.pdf 結果詳細・今後の予定 結果 順位 国 隊 TAC 勝 敗 計 P 1位 丹頂2 Regen 6 0 6 0 2位 丹頂1 Procyon 4 2 2 0 3位 Wardog8 Vleugel 2 4 -2 0 4位 Wardog7 Nightbug 0 6 -6 0 Wardog7は無断欠席の積み重ねにより今大会限りで不名誉除隊。 表彰 MVP Procyon ベストバウト Procyon VS Regen
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+ '14年 2014/9/16 組織としての再スタートを迎えました。 2014/10/2 新規入隊 Wardog隊に新隊員:Kazuya氏が加入しました。 2014/10/3 新規入隊 Schwalbe隊に新隊員:Kazuki氏が加入しました。 2014/10/4 隊 政 元Gunpowder氏・現YAHATA氏が扶桑皇国を建国し、丹頂隊を設置しました。 2014/10/19 新規入隊 丹頂隊に新隊員:Regen氏が加入しました。 2014/10/21 新規入隊 Wardog隊に新隊員:vleugel氏が加入しました。 2014/11/5 kazuya氏の正式TACが決定、Wardog隊に正式に加入しました。 2014/11/7 隊 政 YAHATA氏がTACをProcyonに変更しました。 2014/12/6 新規入隊 Schwalbe隊に新隊員:Rote Falken氏が加入しました。 2014/12/6 新規入隊 Schwalbe隊に新隊員:Pasutisu氏が加入しました。 2014/12/7 新人杯 14の前半戦が終了しました。20/21日に設定されていた予備日を利用して後半戦を行います。 2014/12/13 除隊処分 長い間ログインがなかった為、Schwalbe3のKazuki氏が一旦Schwalbe隊から除名されました。 それに伴い、Rote Falken氏とPastisu氏の番号が繰り上がりました。 2014/12/21 新人杯 14は最終日 + '15年 2015/1/10 除隊処分 Wardog6のmoon氏とgryphus5のTiger氏は長期間ログインがなかったため仮除隊処分となりました。 新しい階級制度を整備・施行しました。旧階級制度から切り替えられます。 2015/2/8 新人杯 14が閉幕しました。優勝は扶桑のRegen氏です。 Wardog7のNightbug氏は大会の無断欠席や度重なる素行不良により不名誉除隊処分となりました。 2015/2/11 隊 政 Regen氏がTACをSivaに変更しました。 各記事内の旧TACは新しいものにお読み替えください。 2015/10/31 新規入隊 WardogにVita氏とHabicht氏が加入しました。それぞれ5番と7番をつけることになります。 2015/11/15 新規入隊 Lezviye隊にCastor氏が加入しました。 + '16年 2016/02/25 Vita氏の手によるPVが公開されました。 2016/03/04 技術部のページの一新。製作者は自己紹介と代表作の紹介ができるようになりました。 2016/03/09 移 籍 Schwalbe2/4がそれぞれWardog,Lezviyeに移籍しました。 2016/3/31 隊 政 HTBRKONE氏がWardog隊長を辞任、Fiendが継承しました。 2016/6/11 隊 政 Wardog隊が名称をBaselard隊に変更しました。 従来の名称のまま残っている記述やリンクは適宜読み替えください。 2016/7/01 除隊処分 Ghool2が不穏な行動、無気力な活動内容により除隊処分となりました。 2016/7/14~27 新規入隊 Gryphus隊に新隊員:Vulture氏・Orca氏の二名が入隊しました。 Ghool隊に新隊員:Witch氏が入隊しました。 内 政 一連の新人ラッシュのきっかけを作ったとして、 Baselard3のVITA氏が宣伝相の称号を獲得しました。 2016/8/10 新規入隊 Baselard隊に新隊員:ArmedOwl氏が入隊しました。 2016/11/07 除 隊 丹頂隊のProcyon氏とTsukasa氏が多忙のため自主除隊となりました。 隊 政 所属メンバーが居なくなったため丹頂隊が解散となりました。 + '17年 2017/1/13 新規入隊 Lezviye隊に新隊員:Triglav氏が入隊しました。 2017/3/25 除 隊 Ghool隊のVoid氏が一身上の都合で退会されました。 2017/7/13 新規入隊 Gryphus隊に新隊員:Watcher氏が入隊しました。 + '18年 2018/3/4 新規入隊 新隊員:Doctor氏が入隊しました。 それに伴い、扶桑皇国に新部隊を設立する運びとなりました。 2018/3/19 新規入隊 Ghool隊に新隊員:Conductor氏が入隊しました。 2018/10/20 除 隊 Pasutisu氏が多忙のため自主除隊しました。 + '19年 2019/3/10 新規入隊 Gryphus隊に新隊員:Escrime氏が入隊しました。 2019/4/13 新規入隊 青龍隊に新隊員:Caster氏が入隊しました。 2019/4/19 隊 政 Pasutisu氏がLezviye隊に復帰しました。 新規入隊 青龍隊に新隊員:Wolke氏が入隊しました。 2019/6/16 新規入隊 青龍隊に新隊員:JUDY氏が入隊しました。 2019/7/7 新規入隊 青龍隊に新隊員:Wagtail氏が入隊しました。 2019/7/11 隊 政 Baselard隊で人員整理が行われ、旧2,5,6,7番機が一時的にメンバー外となりました。 + '21年 2021/6/16 新規入隊 新隊員:Aigle氏が入隊しました。 配属先はフルシアに部隊を新規設立の方向で調整中です。 2021/7/2 移 籍 Seiryu2:Caster氏がBaselard隊に育成型期限付き移籍しました。 正規メンバーとしての登録ではないため、二桁ナンバーのBaselard12となります。 '22年 2022/4/1 移 籍 Baselard隊に期限付き移籍していたCaster氏が青龍隊の稼働率向上に伴いSeiryu2として原隊復帰しました。 '23年 2023/5/4 新規入隊 新隊員:Bonz氏が入隊しました。 配属先はGhool隊に決定しました。 2023/5/27 移 籍 Watcher氏がGryphus隊を除隊しKraus隊を新規設立、隊長に就任しました。 同時にLezviye隊のPola氏も追随し同隊2番機として着任しました。 これによりLezviye隊は現役メンバーが不在となったため募集停止・解体予定となります。 2023/9/16 新規入隊 新隊員:aAwd氏が入隊しました。 配属先は選定中です。 2023/10/21 移 籍 青龍隊のDoctor氏が研修を目的にGryphus隊へ期限付き移籍しました。 隊長としての職務は一時的に副隊長のCaster氏が担います。
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Sky Flight Sky Flight アーティスト スカイピース 発売日 2019年3月6日 レーベル ERJ CDデイリー最高順位 2位(2019年3月6日) 週間最高順位 2位(2019年3月12日) 月間最高順位 14位(2019年3月) 年間最高順位 242位(2019年) 初動総合売上 8152 累計総合売上 10378 収録内容 曲名 タイアップ 視聴 1 Sky Flight ゾイドワイルド OP 2 スタートダッシュ CD/総合ランキング 週 月日 CDシングル 総合シングル 順位 週/月間枚数 累計枚数 順位 週/月間枚数 累計枚数 1 3/12 3 7281 7281 4 8152 8152 2 3/19 11 1313 8594 17 1563 9715 3 3/26 286 8880 286 10001 4 4/2 207 9087 207 10208 2019年3月 9 9087 9087 14 10208 10208 5 4/9 170 9257 170 10378 ゾイドワイルド OP 前作 次作 Starting OverDISH// Sky Flight 関連CD 雨が降るから虹が出る Ride or Die
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目次 水平経路 垂直経路上昇距離 巡航高度 降下開始地点(降下距離) 計画例 降下距離を測る 目的地がレーダーに映る範囲にあるならば、特に計画を立てなくても、そこへ行くことはできるでしょう。また、目的地の方角が(どうやって調べるかという問題はあるものの)分かっていれば、その方位へ向けて一直線に飛行し続ければ目的地の周辺に到達することができます。さらに、到着時間や燃料消費、退屈さなどを気にしなければ、低空を飛行し続けても問題ありません。 しかし、ジェット旅客機を飛ばすのにそれだけでは面白くないので、地図上のルート(水平経路)と上昇・巡航・降下(垂直経路)の計画を立てて、YSFLIGHTで利用可能な航法計器を使用してフライトを楽しむ方法を、できるだけシンプルな形で考えてみたいと思います。 水平経路 水平経路の計画では、出発地から目的地までのVOR間を結ぶルートを考えることが主な作業になります。そのためには、飛行するマップの空港やVOR間の配置・方角・距離を知っている必要があります。一部のアドオンでは詳細な航空図が添付されています。他のマップでも誰かが作成してくれたものが公開されているかもしれません。そうでなければ、Scenery Editor(テスト版と正式版どちらが新しいかは都度確認のこと)で地図データの中身を調べたり、Navigation Planner(第三者作成ツール。利用は自己責任で)を使用したり、後は飛びながら航路を”開拓”したりすることになります。マップによっては本物の航空図も参考になるかもしれません。 デフォルトで収録されているTOHOKUマップ情報 多くのVOR局を経由する場合、あらかじめ各局名とコースを順番に書き出しておくことで、フライト時の航法に関わる負担を減らすことができます。 目的地までの距離は、次に説明する垂直経路の計画に必要な情報になります。 垂直経路 垂直経路の計画では、先に水平経路の計画で得られた「目的地までの距離」を元に、「巡航高度」と「上昇/降下率(区間)」の(実現可能かつ現実的な)設定を行います。視覚的に言えば、下図のような”台形の形”を考えることになります。 先に言ってしまうと、標準的な「上昇/降下率」は機体性能や飛行管理の都合上、概ね決まっています。上昇・巡航・降下の各フェーズについては以降で説明します。 上昇距離 下図は、上昇時の飛行距離と到達高度の関係をグラフ化したものです(機体はアドオンのB737-500で、10,000フィート以上は250ノットを維持して上昇しています)。機種や燃料搭載量、飛ばし方などにもよりますが、ジェット旅客機なら離陸後30,000フィートに達するのに大体30~50マイル掛かる計算で見積もればよいかと思います。 上昇時は降下と違って、垂直経路を直線的に上昇し続けるというのは難しく、またあまり求められていないので、効率良く上昇することに専念すればよいかと思います。 巡航高度 航空機、特にジェット機は高い高度ほど速く飛ぶことができます(YSFLIGHTでもその特性が再現されています。そしてなにより高高度を飛行するのは気持ちが良いものです)。ただし、上昇/降下に必要な距離もその分増えるので、目的地までの距離に対して巡航高度を高く取りすぎてしまうと、(特に近距離フライトでは)巡航距離が短くなりすぎてしまいます。感覚的に、巡航区間は全区間の1/3は確保したいものです。 一方、巡航可能な高度の上限は、機体の性能に依存します(一般的な旅客機の最大巡航高度は40,000ft程度)。 降下開始地点(降下距離) 降下開始地点(Top of Descent(TOD, T/D))の計算とは、「目的地のどれくらい手前から降下を開始すべきか=降下に必要な距離」を求めることです。ここでは降下角一定で降りていくときの計算方法について考えてみます(YSFLIGHTでは基本的に風の影響などを考慮する必要はないので、純粋に計算通り飛べばうまくいくはずです)。 降下角が一定ならば、機体―目的地間の水平距離と高度差は比例関係になるので、一方に適当な係数を掛ければもう一方の値を求めることができます。航空機の降下角は約3°が一般的であり、そのときの計算は以下のようになります。 降下に必要な距離(NM)= 高度(ft)×3 ÷1000 = 高度(FL)×3 ÷10 降下角3°での高度→距離の計算例 高度 距離(NM)(ft) (FL) 理論値 3掛け 誤差 1,000 10 3.1 3 -0.1 2,000 20 6.3 6 -0.3 3,000 30 9.4 9 -0.4 5,000 50 15.7 15 -0.7 10,000 100 31.4 30 -1.4 15,000 150 47.1 45 -2.1 20,000 200 62.8 60 -2.8 25,000 250 78.5 75 -3.5 30,000 300 94.2 90 -4.2 35,000 350 109.9 105 -4.9 40,000 400 125.6 120 -5.6 高度 =(目的地との距離(NM)÷3 ×1000)(ft),(目的地との距離(NM)÷3 ×10)(FL) 降下角3°での距離→高度の計算例 距離(NM) 高度 理論値(ft) 3割り 誤差(ft) (ft) (FL) 3 955 1,000 10 +45 6 1,911 2,000 20 +89 9 2,866 3,000 30 +134 15 4,777 5,000 50 +223 30 9,553 10,000 100 +447 45 14,330 15,000 150 +670 60 19,106 20,000 200 +894 75 23,879 25,000 250 +1,121 90 28,659 30,000 300 +1,341 105 33,436 35,000 350 +1,564 120 38,212 40,000 400 +1,788 整数で乗除算するのは、操縦しながら暗算できるようにするためです。降下中、目的地との距離・高度差をもとに上記の計算を定期的に行い、機体が適切な降下パスから外れていないかをチェックして、必要に応じて降下率を調整します。 キリの良い高度に対する距離(1,000ft/3NM、10,000ft/30NM、20,000ft/60NM、30,000ft/90NM)は覚えておくと、降下パスを感覚的に把握しやすくなります。また、高度をフライトレベル(FL)で考えれば、割ったり掛けたりする0の桁数を減らせます。 実際の降下開始地点は、計算で求めた距離よりも数マイルは余裕を持った方がよいと思います。 「高度3掛け・距離3割り」での実際の降下パスは、下図の通り、3°よりわずかに深く(約3.14°)なりますが、誤差の範囲でしょう。 ちなみに降下角3°よりやや深めの5°で降下したときは、10,000フィートで約18.8マイル掛かります。これは降下角3°のときの6割程度の距離となります。 計画例 上昇・巡航・降下の各フェーズで必要な飛行距離について理解した上で、改めて垂直経路の図(垂直経路の飛行計画(例))を見てほしいのですが、「目的地までの距離(全区間)」が190マイルで「巡航高度」を30,000フィートに設定したとき、「上昇区間」は上昇距離の図(上昇時の飛行距離と到達高度(例))の通り40マイル、「巡航区間」は60マイルで全区間の約1/3(最低限巡航したい距離)、「降下区間」は降下角3°で90マイルになっています。このときの「降下開始地点」は全区間の半分を少し過ぎたところに位置しています。 つまり、全区間の半分の距離から降下できる高さより低い高度を「巡航高度」に設定すれば、大きな間違いはないと思います(標準的な上昇/降下を行い、最大巡航高度未満を飛行するという前提で)。 降下距離を測る 飛行計画後の話になってしまいますが、計画通りに降下を行うには、目的地との距離をリアルタイムに知る必要があります。高高度からの降下では目視という訳にはいかないので、レーダーやDMEを利用することになります。 レーダーは『3』キーを押すたびに視程範囲(レンジ)を切り替えられます。例えばレンジが「100 MILES」のときは、半径50マイル先(四隅はもう少し先)まで表示することができます。レーダーで50マイル先に表示された空港に着陸したい場合、その時点で約17,000フィート未満を飛んでいないと(降下角 3°のパス基準で)”高い”ということになります。 処理高度の概算例(降下角3度) レーダーで目的地との距離を測りながら高度を処理する方法は、無線標識局の設置されていない空港や、15,000フィートくらいまでの高度を気ままに飛んで着陸する場合に便利です。しかし、ある程度の距離まで近づいたら、目視によるアプローチ~着陸を行う必要があります。規定の高度でダウンウィンドレグにエントリーして、トラフィックパターンの型通りにアプローチするか、ストレートインやダイレクトベースでの進入なら、早め早めに降下しながら滑走路へ接近していきます。最終降下は(かなり低いと感じられますが)1,000フィートを切る高度から開始します。 低空での目視による降下判断には、HUDのピッチ角目盛りが参考になります。目視でのアプローチでも触れていますが、降下角3°で降りるなら、ピッチ角の目盛りが-3°のラインと滑走路の位置を比較して高いか低いかを判断できます。慣れてくればYSFLIGHTの低空での高度感覚を掴めるようになるでしょう。 最終降下開始前。滑走路端が3°の降下パスに重なるまで水平飛行する 空港にVOR/DMEが設置されていれば、DME計器により距離を確認することができます。ただし、YSFLIGHTではマップにもよりますが通常60~90マイル程度近づかないと受信できないので、30,000フィートを超える高度から降下するには、空港VORより1つ以上手前のVOR局のコース上で降下を開始しなければなりません。逆を言えば、それくらいの巡航高度は、複数のVOR局を経由しないと目的地までたどり着けないような距離をフライトするときに選択するものと言えます(計画例参照)。 レーダーやDME以外に、NAV1, NAV2のSTATIONリストにも局までの距離が表示されるので、ある程度は参考になるでしょう。 前ページ ページTOP 次ページ メニュー